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扇町公園のちょっと怖い話…昔は監獄だった!?歴史をひも解いてみる

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きれいな都市型公園である扇町公園には実は怖い話があるんですよ~。

夏といえば怖い話ですよね|д゚)

この記事を書いているのが夏ということもあるので、ちょっと扇町公園に伝わる怖い話に触れていこうと思います。

※怖いレベルは低めです。

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扇町公園のちょっと怖い話

 

昼間は小さい子供たちがキャッキャと騒いで遊んでいたりウォーキングや日向ぼっこをしている方達が集まって穏やかな空気が流れています。

ところが夜になると空気は一変して少し怖~~い雰囲気になります。

扇町公園は今では綺麗な公園に整地されていますが昔は色々あったようで…。

戦争中は今の扇町公園の南東らへんに防空壕があったそうで、大阪空襲を受けた時に200人余りの人がそこで亡くなったんだとか…。

その為、夜に公園を通ると防空頭巾をかぶった小さい女の子が夜な夜なブランコに乗っていたり、兵隊さんが立っているとかいう噂があります。

 

筆者は扇町公園と同じ敷地内に建っているテレビ局によく出入りしていましたが、そこのテレビ局内でもどうも怖く感じる特定の場所があったり、気味が悪い話は聞きました。

『宿直勤務中に突然ドアノブをガチャガチャされ「何事か!?」と思いすぐにドアを開けて周りを確認してみたけど誰もいなかったことが2回あった』とか

夜になると局内のとある階のトイレがどうも気味が悪く感じることが多く、用を足したら足早に出るようにしていたのですが、霊感のある子に聞いてみると「あそこのトイレは夜になると女性が歩いているようなヒールの音がする」と言っていたり…

…や、やっぱりいるのか?((((;゚Д゚))))とガクブルになりました。

「テレビ局は出る」なんてよく言いますがね…(汗)

 

都市開発され綺麗で広大な面積を誇る公園だとか公共施設や住宅地って、その昔は人が住み着かないような土地だった場合が多いんだそうです。

 

扇町公園も例外ではありません。

 

扇町公園は昔は監獄だった

 

今では跡形もないので考えられないですが、扇町公園のある場所は明治15年(1882年)当時は「堀川監獄」(現在の大阪刑務所)と呼ばれる監獄所でした。

現在の扇町公園とほぼ同じぐらいの規模だったようです。

 

こんな梅田のそばに監獄所があったなんて驚き((+_+))

 

堀川監獄は4000人を収監できるほどの大きな監獄所だったようで、沢山の罪人たちがこの堀川監獄に連れてこられていたそう。
中でも政治犯や重い罪を犯した罪人たちが収監されており「泣く子も黙る」といわれるくらい恐れられていた監獄所だったのだそうです。

しかし徐々に市街地が発展してきて、天満駅も開業し車窓から監獄所が見えるようになったんだとか。
で、こんな街中に監獄所があるのは相応しくない!ということで、大正9年(1920年)に堺に移転し現在の大阪刑務所となったんだそうです。

 

1920年ってそんなに昔の話でもないですよね~。

 

明治37年頃はこの場所は辺鄙なところだったそうで桑畑が一面に広がっていたそうです。

さらにさらにもーっと昔は、荒地や畑が散財しているような土地で、江戸時代末期頃はゴミが溜まる所でもあったそう。

 

こんな感じで近寄るものがあまりいない地域だったので監獄所が建てられたのだそうです。

足に鎖を繋げられ真っ赤な着物を着せられた罪人たちが天神橋筋を歩かされていたそうですよ。

 

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扇町公園や周辺の歴史をひも解いてみる

 

監獄所ができる前の扇町公園の歴史も見てみましょう~!

 

その昔、扇町公園周辺は湿地帯でした。

(有名なのでも「梅田」は元々「埋田」という漢字で埋め立てた土地と呼ばれていたとか。元々大阪の土地は海面すれすれの湿地や低地が多かったんだそうです。)

 

豊臣秀吉が大阪城建築を始めたころに城下町も整備するために1598年に天満堀川が開削され、
物資の調達が容易になったり商人達も移住してきたりで天満周辺は徐々に発展していきました。

しかし1838年に、"大塩平八郎の乱"がおこり天満界隈は焼野原となり壊滅的なダメージを受けました。

この大騒動で被害を受けた被災者や失業者を救援する一環もあり、天満堀川をさらに北側へと開削していたけど、戦後には阪神高速道路の開拓用地として埋め立てられてしまい現在は川があったことなんてわかりません。

 

現在でも扇町公園周辺には「堀川えびす」や「堀川小学校」など堀川と付く名前があります。

堀川監獄所の名前の由来もわかりますね~。

 

当時は堀川を渡る為の橋が沢山かかっていたようで、今でも天神橋筋商店街の天神橋筋3丁目と4丁目の境らへんに夫婦橋という橋が残っています。

橋といっても本当に形だけのオブジェやモニュメントな感じですけど。

他にも阪神高速道路の下には当時の橋の痕跡が何個かあったりします。

扇町という地名の由来は、この天満堀川にかかっていた「扇橋」という橋が由来だそうで、水路が交差する場所に三方に通じるようにY字型にかかる橋があって、それが扇型に見えたところから扇橋と名づけられたのだそうな。

 

堀川監獄所が堺に移った後は、昭和25年(1950年)には競技用の「大阪プール」という大きなプールが建てられました。

この大阪プールは、日米豪国際選手権水上競技大会の会場としても使われ、観客数2万2千人もの人数を収容できる全国屈指のプールでした。

しかし平成9年(1997年)に港区へと移転となり、関西テレビの新社屋建設と共に、大規模リニューアル工事に入り現在の扇町公園となりました。

大規模工事によって徹底的に新しく作り変えられたので、昔の名残はほとんど残っていませんが、大阪プールの名残として扇町公園の南西側の入り口には、当時大阪プールで使われていた飛び込み台がオブジェのように残されています。

(なんとこの飛び込み台は、加山雄三さんの「海の若大将(1965年)」という映画のロケで使われたんだそうですよ。)

他には、扇町公園の南端には「八重垣大明神」という石碑が建っているんですがここも悲劇の話があったりもします…。

こんな風に扇町公園は結構古くからいろんな事が起こった場所なんですねー。

古くからなんやかんやとあった場所で、しかも監獄所跡地、防空壕もあった場所だったらそりゃ怖い話も出てくるよな~と思います。。

 

まとめ

扇町公園のちょっと怖い話を紹介してみました。

歴史を少しひも解いてみると、なぜ現代に怖い話が出てくるのかがわかるような気がしますね。

『この場所で昔はそんな事があったのね~』なんて想いを巡らせながら扇町公園や周辺をブラブラしてみるのも面白いと思います。

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